モロッコ旅の達人 岩間ひかるです。
2022年の夏にやっとタイミングが巡ってきて行くことができた
ティンメル(Tinmel)のモスク。
それはそれは美しいものだったので、
ご紹介したいと思います。
Tinmelの位置
ティンメルのモスクはハイ・アトラス山中の
Tinmelという集落にあります。
ベルベル語では”Tin Mel”または”Tin Mal”と書くこともありますが、
この地域のベルベル語であるTashelhitでこの語は
「学校」を意味するそうです。
Tinmelの集落があるのは、マラケシュとタルーダント間を
Tizi N’Testという峠を超えて結ぶ幹線道路沿い。
Tinmelの歴史
この村はムラービト朝(西暦1040〜1147年)を倒した、
ムワッヒド朝の起点となった土地でした。
ここティンメルで軍事作戦を立て、1147年にムラービト朝を
倒して以降、都の首都はマラケシュに移ります。
首都としての機能がマラケシュに移ってからは
Tinmelはムワッヒド朝の精神的・芸術的な中心地になります。
Tinmelのモスクが建てられたのは1148年と言われています。
ムワッヒド朝の建国の祖であり1130年に亡くなった
Mohamed Ibn Tumartをたたえてのことだそうです。
当時は3000人を収容できるほどの巨大なモスクだったそうで、
現存するマラケシュのクトゥビア・モスクの収容人数が
屋内で5000人、屋外に5000人と言われていますから
この山岳地帯においてはとてつもなく大きなモスクだったことが窺い知れます。
モスクの歴史は、ムワッヒド朝の陥落とともに荒廃の一途をたどります。
ムワッヒド朝は1269年にマリーン朝によってマラケシュが征服され、
君主の戦死によって幕を閉じます。
ティンメル・モスクの修復
その後荒廃する一方だったティンメルのモスクに光が射したのは20世紀に入ってから。
現在のモスクは当時のままの部分を一部的に残しつつも、
新たに修復された箇所と共存しています。
今ではモロッコにおいてイスラム教徒でなくとも入場できる
数少ないモスクの一つです。
2022年8月時点では、特に入場料などはありませんでしたが、
門を管理している近くの村の若者が、簡単にモスクの説明をしてくれます。
彼に対してのチップが入場料代わりです。
モスク内装の美しさ
外観はまるで要塞かのような荘厳な出立ち。
小高い丘の上に建っているので、幹線道路からすぐに見つけられます。
内装は東西方向、南北方向に幾重にも重なる
馬蹄形の美しさが一際目を引きます。
しかしよく見ると、祈りの方角となるメッカの方向にあって
コーランを唱える人が入るミフラーブ周辺は特に
あちらこちらに緻密な装飾が残されています。
ちょうど私が訪れた日は、モスクの中でファッション誌の撮影が行われていました。
煌びやかなドレスをまとった女性や、ばっちりスタイリングされた男性モデルや
撮影のアシスタントの方々が忙しく歩き回っていました。
Tinmelのモスクへは、マラケシュから日帰りの
プライベートツアーでも行くことができます。
お気軽にお問い合わせくださいませ!